3月15日から鎌倉歴史文化交流館の企画展「平泉から鎌倉へー兵どもが夢の先ー」が始まりました。
奥州平泉は、奥州藤原氏三代(藤原清衡・基衡・秀衡)が築いた黄金の都。
平泉文化遺産センター掲示
『吾妻鏡』によると・・・
初代清衡は、継父・清原武貞(鎮守府将軍の清原武則の子)亡き後、奥六郡(伊澤、和賀、江刺、稗貫、志波、岩井)を伝領し、嘉保年中(1094-1095)頃に江刺郡豊田館を平泉に移して宿館としました。
柳之御所遺跡は、『吾妻鏡』に記された平泉館の跡と考えられています。
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中尊寺は、清衡が奥六郡の管理を初めて最初に建てられた寺。
📎吾妻鏡が伝える中尊寺
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毛越寺は、中尊寺とともに円仁 (慈覚大師) によって開かれたと伝えられる寺院。
二代基衡、三代秀衡が再興。
往時には堂塔40、僧坊500を数え、京都白河の法勝寺を模して築かれたと考えられています。
📎吾妻鏡が伝える毛越寺
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無量光院は、三代秀衡が京都の平等院を模して建立した寺院。
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約100年にわたって栄華を極めた藤原氏ですが、1189年(文治5年)の源頼朝の奥州攻めによって滅亡します。
中尊寺金色堂の須弥壇内には、清衡・基衡・秀衡のミイラ化した遺体が納められ、頼朝の奥州攻めで討たれた四代泰衡の首も納められています。
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(衣川館)
衣川館は、源義経が最期を迎えた場所。
1689年(元禄2年)、この地を訪れた松尾芭蕉は、100年にわたり栄華を極めた奥州藤原氏や、この地で自刃した義経を思い・・・
「夏草や 兵共が 夢の跡」
と詠みました。
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(鎌倉)
永福寺は、源頼朝が中尊寺・毛越寺・無量光院などを模して建てた壮大な寺院でした。
永福寺跡のハスは、2019年(平成31年)に平泉町から鎌倉市に寄贈された中尊寺ハス。
中尊寺ハスは、頼朝に滅ぼされた泰衡の首桶から見つかったハスの実が発芽したもの。
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(伊豆の国市)
願成就院は、北条時政が建立した寺院。
願成就院の伽藍は、永福寺と同じく奥州平泉の寺院を参考にしたもので、主に毛越寺を模した構成だったのだといいます。
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