別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2019年2月7日木曜日

唱歌『青葉の笛』:平敦盛と平忠度の最期~一ノ谷の戦い~

1184年(寿永3年)2月7日、源範頼源義経が平家一門の拠る一ノ谷を攻撃します。

唱歌『青葉の笛』は、この戦いで命を落とした平敦盛と平忠度の最期を歌ったもの。


一の谷の 軍破れ
討たれし平家の 公達あわれ
暁寒き 須磨の嵐に
聞こえしはこれか 青葉の笛

「青葉の笛」は、平敦盛が身に着けていた竹笛。

この笛は、弘法大師が唐に留学していた時に作ったもので、帰国後に嵯峨天皇に献上されて「青葉の笛」と名付けられ、その後、敦盛の祖父・忠盛が鳥羽院に賜ったのだと伝えられています。

笛の名手だった敦盛は戦場でも演奏していたそうです。

源平合戦ゆかりの須磨寺には、敦盛遺愛の「青葉の笛」が伝えられています。


 須磨寺源平の庭
(須磨寺・源平の庭)


更くる夜半に 門を敲き
わが師に託せし 言の葉あわれ
今わの際まで 持ちし箙に
残れるは「花や 今宵」の歌

2番は平忠盛の子で、清盛の異母弟の忠度を歌っています。

歌人と優れていた忠度は、平家一門と都落ちした後、都へ戻って師事していた藤原俊成に自らの歌をおさめた巻物を託したのだといいます。

そして、忠度が討たれたときに箙の中に残っていた歌が「行き暮れて 木の下蔭を 宿とせば 花や今宵の あるじならまし」だったのだそうです。








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