「八幡神」は「応神天皇」の神霊で、571年(欽明天皇32年)に初めて宇佐の地に顕れたのだといいます。
宇佐八幡宮の祭神は、八幡神(応神天皇)、比売神、神功皇后で、八幡三神と呼ばれています。
神功皇后は、応神天皇の母。
比売神は八幡神が顕れる以前からの地主神。
宇佐八幡宮は、奈良時代には、「八幡大菩薩」の称号をもつようになりました。これによって、全国の寺の鎮護神として八幡神が勧請されるようになります。
そして、武士の尊崇を受けるようになります。
僧形八幡神(応神天皇) |
~石清水男山への勧請~
859年(貞観元年)、行教が宇佐八幡宮に参り、90日間にわたり神前に祗候し、昼は大乗教、夜は真言密教を誦したところ、
「われは都の近くに移座して国家を鎮護したい」
という八幡大菩薩の託宣があったそうです。
これを受けて岩清水男山に創建されたのが石清水八幡宮だと伝えられています。
~源義家と石清水八幡宮~
伝えられている話によると・・・
源頼義が石清水八幡宮に参籠したとき、社殿で三寸の霊剣を賜った夢を見ます。
夢から覚めると枕元には小剣が置かれていました。
この霊夢を見た月に妻が懐妊し、誕生したのが源義家でした。
義家の生年は、はっきりとしませんが、1039年(長暦3年)という説が有力です。
その後、7歳となった義家は、石清水八幡宮の神前で元服し「八幡太郎」と号したといいます。
※義家がどこで生まれたのかは不明です。
鎌倉で生まれたとする説もあります。鎌倉には、頼義が甘縄神明神社で祈願して義家を授かったという話がのこされています。
甘縄神明神社 |
~鎌倉由比郷への勧請・・・源頼義~
石清水八幡宮を深く信仰していた源頼義は、1063年(康平6年)、前九年を平定した後、鎌倉の由比郷に石清水八幡宮を勧請し、社殿を創建しました(鶴岡若宮)。
1081年(永保元年)には、義家が修理を加えたと伝えられています。
これが、現在の鶴岡八幡宮の始まりです。
そして、1180年(治承4年)、鎌倉に入った源頼朝によって小林郷北山に遷座されました。
鶴岡八幡宮本宮の八幡神(応神天皇)の神輿 |
鎌倉手帳
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