1250年(建長2年)8月27日、北条時頼室(葛西殿)の懐妊が明らかとなり、祈祷が行われています。
12月13日、鶴岡八幡宮別当の隆弁が加持を勤め着帯の儀が執り行われました。
北条時宗が生まれたのは、父時頼の母松下禅尼の「甘縄の第」でした。
松下禅尼は、安達景盛の娘。
安達氏の館は、甘縄神明神社の辺りにあったと伝えられています。
(※松下禅尼質素倹約の教え)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
~隆弁の出産予告~
翌1251年(建長3年)5月1日、出産間近となった葛西殿は、産所とした松下禅尼の「甘縄の第」に移ります。
5月14日になると隆弁は、「出産は明日酉の剋」と予告します。
そして次の日がやってきました。
時頼は、今日出産というのに葛西殿にその気配がないので、隆弁に使いを出しています。
すると隆弁は、
必ず「今日の酉の剋に出産なので心配ご無用」と返答しているようです。
そして、隆弁の予告どおりに時宗が誕生しました。
このとき隆弁は、三嶋大社に祈願している間に受けた夢告について披露しています。
2月12日寅の剋、隆弁の夢に白髪の老翁が現れて、
「祈念するところの懐婦は、5月15日酉の剋に男子を平産する」
と告げたのだといいます。
(甘縄神明神社)
(参考:北条得宗家の嫡子として誕生した北条時宗)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆