別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年2月2日水曜日

源頼朝を助けた隠里の稲荷大明神(佐助ヶ谷)

源頼朝が、まだ伊豆国の蛭ヶ小島に流されている頃、病に臥していた頼朝の夢枕に白髯の老人が現れます。

そして、

「汝は平氏を討つ天命を負うものである。早急に挙兵して天下を統一すべし。」

と告げ、

頼朝の問いかけには、

「鎌倉隠里(かくれさと)の稲荷大明神」

と名乗って姿を消したといいます。


佐助稲荷
源頼朝は、幼少期に右兵衛権佐に任ぜられていたため、
長いあいだ「佐殿」(すけどの)と呼ばれていました。
「佐助稲荷」という名には、
その佐殿を助すけた稲荷大明神という意味があると伝えられています。


佐助稲荷神社本殿

夢のお告げによって挙兵した源頼朝は、それから50日ほどで鎌倉入りを果たします。

平氏を討滅させ、大倉の御所に武家政権の府を誕生させた頼朝は、西方の霊地に祠が発見されると、畠山重忠に命じて社を造らせました。

(創建年ははっきりしませんが、建久年間(1190~99)のことといわれています。)

それが、現在の佐助稲荷神社だと伝えられています。


境内にはたくさんの石祠が並んでいます。



古い書籍には佐助稲荷神社本殿の上に金狐祠と呼ばれるものがあったのだといいます。

この祠の先は葛原ヶ岡・大仏ハイキングコース







佐助稲荷神社
https://www.yoritomo-japan.com/page137sasukeinari.htm
鎌倉手帳



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