日蓮が念仏門徒に松葉ヶ谷の草庵を焼き討ちされたとき、裏山の洞窟へ日蓮を導いたという逸話が残る動物は何か。
日蓮が『立正安国論』を前執権であり、得宗の北条時頼に上書したが、幕府には受け入れられなかった。この後、日蓮は念仏門徒により〔 〕の草庵を襲撃されたが、 〔 〕の導きにより何とか難を逃れた。
松葉ヶ谷の法難のとき、〔 〕に助けられた日蓮が逃げたのはどこにつづく裏山か。
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1260年(文応元年)7月16日、日蓮は松葉ヶ谷の草庵で書き上げた『立正安国論』を北条時頼に提出します。
しかし、これが原因となって、8月27日夜、念仏信者らによって草庵が焼き討ちされてしまいました(松葉ヶ谷法難)。
草庵を焼き討ちされた日蓮は、どこからともなく現れた白猿に導かれ、名越切通の「お猿畠」に避難したのだとか。
逗子の法性寺の山号は「猿畠山」。
日蓮が草庵を焼討ちされた際、3匹の白猿が現れて日蓮をお猿畠に避難させたという伝説が残されています。
日蓮を救った白猿は、かつて修行した比叡山の山王権現(日吉大社)の白猿だったのだとか・・・
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(妙法寺)
(安国論寺)
大町の妙法寺・安国論寺、そして材木座の長勝寺が松葉ヶ谷草庵があった場所とされていますが、何処にあったのかは特定されてはいません。