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2024年3月10日日曜日

帰去来辞~まひろの漢詩と源氏物語:光る君へ第10話~





既自以心為形役
(既に自ら心を以て形の役と爲す)

奚惆悵而獨悲
(奚ぞ惆悵して獨り悲しむ)

「これまで自分の心を犠牲にしてきたのだから、もうくよくよ悲しんでいる場合ではない」

これは、陶淵明の『帰去来辞』の一節。

『帰去来辞』は、官職を辞して郷里に帰る心境を述べた詩。

「帰去来」は、「官職を辞して郷里に帰るためにその地を去る」という意味。


陶淵明(とうえんめい)は下級貴族の出身。

生活のため数回官職に就いたが、下級役人としての職務に耐えられず、いずれも短期間で辞任しています。

紫式部の父藤原為時も下級貴族。

984年(永観2年)、花山天皇の時代に式部丞・六位蔵人に任じられますが、986年(寛和2年)に花山天皇が退位すると辞任。

1011年(寛弘8年)には越後守となりますが、1014年(長和3年)には、任期を残して辞任。

辞任の理由はわかりませんが、何となく陶淵明に似ている・・・


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三径就荒松菊猶存
(三径荒に就けども松菊猶ほ存す)

「三本の小道は荒れているけども、松や菊はまだ残っている」

これも『帰去来辞』の一節。

「三径」とは、幽居の庭に3つの径(こみち)をつくって松・菊・竹を植えたという故事から、庭につけた3本の小道のこと。

『源氏物語』~蓬生の巻~にも「跡あなる三つの径」が出てきます。

荒れ果てた末摘花の邸宅に叔母の大弐の北の方が尋ねてきますが、庭は浅茅の原となり、生い茂った蓬は軒にまで届く高さ。

「この草の中にもどこかに三つの小道は残っているはず」と皆で捜している様子が描かれています。



紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









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