984年(永観2年)、花山天皇が即位。
同年・・・
藤原為光の娘・忯子は弘徽殿に、
藤原朝光の娘・姚子は麗景殿に、
藤原頼忠の娘・諟子は承香殿に入って女御となりました。
為平親王の娘・婉子女王は、984年(永観2年)に宮に入っています。
忯子は寵愛を受けて懐妊しますが、985年( 寛和元年)7月18日に急死。
姚子は寵愛を受けられず、1か月ほどで退出。
諟子は寵愛されていたわけではないが、目には掛けられていたようです。
婉子女王は、はじめ寵愛を受けていたようですが、次第に盛んではなくなってしまったようです。
986年(寛和2年)6月23日、花山天皇が出家すると、婉子女王は藤原実資に嫁ぎました。
実資の最初の妻は源惟正の娘ですが、花山天皇が出家した年の5月8日に亡くなっています。
986年( 寛和2年)6月23日、花山天皇は元慶寺で出家(寛和の変)。
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