東三条殿は、二条大路南西洞院大路東にあった藤原兼家の邸宅。
ここで長女の超子は三条天皇を次女の詮子は一条天皇を出産。
兼家の死後は、嫡男・道隆に継承され、道隆の長女・定子は東三条殿から一条天皇に入内。
道隆の死後は道長が相伝。
紫式部は、道長の長女で一条天皇の中宮となった彰子に仕えますが、初出仕の時期については1005年(寛弘2年)とする説と、翌寛弘3年とする説などがあります。
1005年(寛弘2年)11月、平安宮の内裏が焼失してしまっているため、一条天皇は東三条殿に遷った後、翌年、一条院に遷御しているので、初出仕の場所は寛弘2年ならば東三条殿、寛弘3年ならば一条院ということになるようです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆