今宮神社は、一条天皇の時代に疫病退散のために船岡山で行われた「紫野御霊会」 に始まる社。
紫式部が20歳前後の頃の正暦年間(990-995)、都では疫病が大流行。
一条天皇も疱瘡に罹患したといわれています。
疫病の流行は長徳年間(995-999)、長保年間(999-1004)まで続き、紫式部の夫藤原宣孝も疫病で亡くなったようです。
「消えぬまの 身をも知る知る 朝顔の 露とあらそふ 世を嘆くかな」
この歌は、紫式部が疱瘡になってしまった女性を励ますために詠んだと言われています。
「紫野御霊会」では、京中の人々が船岡山に登って綾傘に装飾を施して唄い踊ったのだといいます。
4月に行われる「やすらい祭」は、疫病の根源を花傘に集めて疫社に封じ込める祭で、紫野御霊会で人々が踊ったことに始まるのだと言われています。
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