打毬は、平安時代に端午の節会の際に行われた馬術競技。
紫式部の『源氏物語』~蛍の巻~では・・・
光源氏が六条院の花散里の御殿「夏の町」の馬場で「手結」(てつがい)を催しています。
息子の夕霧が武徳殿での催しの後に行ったもので、紫の上の「南の町」にも続いていたため多くの女房が見物しました。
勝負のたびに「打毬楽」や「落蹲」(らくそん)などが奏でられています。
この「手結」は「打毬」のことではないか?という説があるようです。
高陽院は、藤原頼通の邸宅。
高陽院には馬場があって、後一条天皇が行幸した際には競馬が催されました。
摂関家の邸宅には馬場が設けられ、藤原兼家の二条殿・藤原道長の土御門殿にも馬場が設けられていたのだといいます。
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