節分の夜の豆まきは、大晦日に宮中で行われていた悪鬼を追い払う「追儺」(ついな)という行事に由来しているそうです。
「おにやらい」「なやらい」とも呼ばれました。
大晦日の夜、紫宸殿に天皇が出御すると、桃の弓に葦の矢を持った多くの臣下が集まり、陰陽師が悪鬼を払う祭文を唱えると・・・
四つ目の恐ろしい形相の仮面を着けた方相氏(ほうそうし)が、二十人の侲子(しんし)を率いて、盾を矛で打ち鳴らしながら目に見えない悪鬼を払って歩き、臣下たちは桃の弓で葦の矢を放って悪鬼を追い払ったのだといいます。
しかし、後になって方相氏が悪鬼とみなされるようになり追い払われる役になってしまったのだとか。
(都年中行事画帖)
平安京の守護神として創建された吉田神社や、平安宮(大内裏)の朝堂院が復元された平安神宮の節分祭では、方相氏が登場するようです。
『源氏物語』紅葉賀の巻では、紫の上の童女の犬君が「鬼やらい」の真似事をして紫の上の人形遊びの道具を壊してしまった場面が描かれています。
幻の巻では、紫の上を失い出家の覚悟をした光源氏が、「何で大きな音をたてようか」といいながら走り回っている匂宮の姿をみながら、六条院での最後の正月を迎えるための準備をしている様子が描かれています。
紫式部の邸跡といわれる蘆山寺の節分会は京都最古といわれ、3匹の鬼による「鬼踊り」で知られているようです。
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