(長岡京市・光明寺)
西山光明寺の創建者・熊谷直実。
源頼朝に仕えた武蔵国の武将。
『平家物語』によれば・・・
一の谷の戦いで直実は、波際を敗走する平家の若武者を呼び止めて一騎討ちを挑みます。
直実が組み敷いて首をとった若武者は平清盛の甥・敦盛でした。
敦盛は16歳だったとも17歳だったともいわれています。
我が子と同じくらいの齢の若者を討ち取ってしまった直実。
この事で出家を考えるようになったのだとか・・・
出家したのは1193年(建久4年)頃だといわれ、その場所は金戒光明寺だったのだと伝えられているようです。
法名は蓮生。
1195年(建久6年)、直実は布教のため武蔵国熊谷へ向かいます。
熊谷郷は直実の本拠地。
その道中、直実は馬の鞍を逆さに置いて乗っていたのだといいます。
「阿弥陀さまの西方浄土へ背を向けては失礼」という理由だったのだそうです。
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