1203年(建仁3年)6月1日、源頼家は、伊豆の奥の狩り場に出かけます。
すると、伊東崎という山中に大きな洞穴がありました。
頼家は、和田胤長に命じて洞穴の中を探索させます。
午前10時頃、胤長は、松明を灯して洞穴の中に入り、午後6時ころになって洞穴から出てきました。
胤長の報告によると・・・
「洞の中を数十里ほど進みました。
暗くてまったく光はありません。
奥へ進んでいくと一匹の大蛇がとぐろを巻いておりました。
その長さは十丈(約30メートル)ほどありましたでしょうか。
両眼が輝き、鱗には苔が生えておりました。
その大蛇が口を開いて胤長を呑み込もうとしたので、
太刀を抜いて大蛇の口を縦に切り裂きましたところ、
大蛇は地面に倒れ死にました。
その奥へは、大蛇の死体が道を塞ぎ、進むことはできませんでした」
ということだったようです。
この報告を聞いた頼家は、
「その奥を見きわめなければ意味がない」
といって不機嫌になったのだとか。
胤長は、自分の努力を認められず、残念に思いながら、頼家の前を退いたということです。
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和田胤長は、侍所別当和田義盛の甥にあたります。
この時から10年後、泉親衡の謀叛計画に加わり捕らえられています(参考:和田合戦)。
※頼家は、6月3日にも「富士の人穴」を仁田忠常に探索させています。
(参考:源頼家・・・仁田忠常に富士の人穴を探索させる!)
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2022年の大河は北条義時