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2025年8月18日月曜日

運慶と北条時政の願成就院と和田義盛の浄楽寺


(伊豆の国市)

願成就院は、『吾妻鏡』の記載によると、1189年(文治5年)に北条時政源頼朝奥州討伐の戦勝を祈願して建立したという寺院。


(横須賀市)

浄楽寺の創建時期等は不明ですが、願成就院と同じく、1189年(文治5年)に和田義盛が奥州征伐の戦勝を祈願して建立したと考えられています。


この2つの寺院には、運慶の真作が置かれています。

願成就院の運慶仏は、胎内銘札から1186年(文治2年)に北条時政の発願によって造立されたことが確認されています。

浄楽寺の運慶仏は、1189年(文治5年)に和田義盛の発願によって造立されたものであることが確認されています。


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近年、願成就院は、運慶の造仏が1186年(文治2年)であることから、それ以前に建立された考えられています。

1186年(文治2年)は平家が壇ノ浦で滅亡した翌年。

まだ奥州討伐が計画されていない時代。

とすると、奥州征伐の祈願寺として創建されたのではないようです。

時政は一族の繁栄と源平の争いにより疲弊していた民衆のために、運慶に造仏を依頼したのではないでしょうか。

浄楽寺の運慶仏は、奥州征伐が行われた年に造仏されていますが、頼朝が奥州征伐を決定したのは源義経が奥州で自刃した閏4月30日以降。

運慶仏はその前の3月20日造立。

やはり、奥州征伐の戦勝祈願のため​ではなさそうです。



運慶願経

運慶は1180年(治承4年)の南都焼討で、東大寺興福寺が焼け落ちるのを目の当たりにした仏師。

平和と南都復興を願っていました。



9月9日(火)から東京国立博物館で特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」が開催されます。

北円堂の諸仏は運慶が造立した南都焼討後の復興仏。



運慶








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