(京都御苑)
枇杷殿は、藤原道長の次女・藤原妍子の里邸として整備された御殿。
一条天皇の里内裏・一条院が焼失した際には、 一条天皇が中宮・藤原彰子らとともに遷御したこともありました。
1011年(寛弘8年)、一条天皇が崩御。
中宮彰子は枇杷殿に遷御して御所とします。
彰子に仕えていた紫式部も枇杷殿へ出仕することとなります。
ありし世は
夢に見なして
涙さへ
とまらぬ宿ぞ
悲しかりける
この歌は、彰子が一条院から枇杷殿に遷るこことなった時に紫式部が詠んだ歌。
「帝がおいでになった時代が夢だったと思うと涙がとまらない。
思い出のある御所に留まることを許されず、移らなければならないのは悲しいことです」
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