1012年(寛弘9年)正月、藤原道長の三男・顕信は、行願寺の行円の教えに感銘を受け剃髪。
比叡山の無動寺で出家してしまいます。
道長や母の源明子は悲しんだといいますが、
何故・・・
前年12月、三条天皇は顕信を蔵人頭に任じること道長に打診しますが、道長は顕信が「不足の者」(能力不足の者)であるとして辞退。
父から「不足の者」という評価を受けた顕信は失望して行願寺の行円のもとを訪れたのだと言います。
📎藤原顕信~突然出家した藤原道長の三男~
行願寺は1004年(寛弘元年)に行円が開いた寺院。
一条天皇の勅願寺となりました。
西国三十三箇所の十九番。
御詠歌は花山法皇が詠んだ
「花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん」
寿老神は都七福神の一つ。
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