1011年(寛弘8年)春先から体調を崩した一条天皇。
6月13日には、居貞親王(三条天皇)に譲位。
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譲位の際、一条天皇は藤原定子が生んだ敦康親王を東宮(皇太子)にしたかったようですが、藤原行成に説得され、藤原彰子が生んだ敦成親王を東宮とすることに決めます。
敦康親王を大切に育ててきた彰子はどうだったのか?
やはり、自ら生んだ子を東宮にしたかったのでしょうか?
実は・・・
敦康親王を東宮にと考えていました。
彰子は藤原道長に何度も敦康親王を東宮にするよう頼んでいたようですが、敦成親王を東宮にして早く天皇の外戚となりたい道長が聞き入れるはずがありませんでした。
行成の『権記』には、「彰子が道長を怨んだ」と記されています。
📎東宮になれなかった
(敦康親王藤原行成が一条天皇に進言したこと)
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居貞親王に譲位した一条天皇は、6月22日、一条院で崩御(32歳)。
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