1159年(平治元年)の平治の乱で平清盛に敗れた源頼朝は、翌年、伊豆流罪となりました。
日々の読経をおこたらず、父・源義朝や鎌田政長らを弔いながら日々を送っていたそうです。
そして、1180年(治承4年)8月17日、源氏再興の挙兵。
目代の山木兼隆を討ったのですが・・・
これから相模国へ進軍しなければなりません。
そうすると続けてきた読経がおろそかになってしまいます。
8月18日、北条政子は、伊豆山権現の尼・法音に読経の代行してもらうことを勧めます。
法音は、政子の経の師でした。
頼朝が目録を法音に提出すると、法音は快諾したのだそうです。
(熱海)
伊豆山神社は、伊豆山権現・走湯権現とも呼ばれ、伊豆の流人だった頼朝が源氏再興を祈願した社。
若き日の頼朝と政子が忍び逢う場所でもあったといいます。
(愛知県美浜町・野間大坊)
頼朝の父義朝は、平治の乱後、尾張国野間で家臣の長田忠致の裏切りあい最期を遂げました。
野間大坊には義朝の墓が建てられています。
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