源頼朝が挙兵の日に選んだのは、源氏再興を祈願していた三嶋大社の祭礼の日でした。
1180年(治承4年)8月17日の晩、頼朝は山木館を攻めさせます。
加藤景廉と佐々木盛綱は、留守番として頼朝の傍らにいました。
まず、佐々木定綱・経高・高綱の三人が、山木兼隆の後見役堤権守信遠を討ちます。
このとき、経高の放った鏑矢が、平氏を征伐するための最初の矢でした。
その後、佐々木兄弟は、山木兼隆襲撃の軍に加わります。
頼朝は、「戦が始まったら火をつけるように」と命じていましたが・・・、
その火がなかなか見えないので、留守の加藤景廉・佐々木盛綱・堀親家らを山木館へ向かわせました。
景廉には、長刀を与え、「兼隆の首を討って持参すべし」と命じています。
そして、盛綱と景廉は、兼隆の屋敷内に入り、見事に兼隆を討ち取ります。
兵達が帰ってきたのは、18日の明け方でした。
三嶋大祭りは、三嶋大社の祭礼にあわせて開催される三島市最大のイベント。
期間は8月15日・16日・17日。
中日には「頼朝公旗挙げ行列」が行われています。
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