995年(長徳元年)4月10日、一条天皇の中宮・藤原定子の父の道隆が死去。
清少納言の『枕草子』によると、定子は毎月10日に道隆の供養をしていたのだといいます。
9月10日の追悼では、清水寺の清範の法話に皆が感動。
その後、酒を飲んだり、詩をそらんじたりしていると・・・
蔵人頭の藤原斉信が「月秋と期して身いづくか」と詠い、とても素晴らしかったのだとか。
(秋の月を愛でた人はどこに行ってしまったのだろう?)
説教をした清範は、興福寺の守朝の弟子。
清水寺の別当となって清水律師と呼ばれました。
文殊菩薩の化身といわれ、藤原道長が営んだ法会では、集まった百僧のために置かれていた敷物の一つに「文殊」と書かれたいた札が隠されていることを見抜いたのだとか。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆