平安時代、琵琶湖の西岸・堅田の地は下鴨神社の御厨でした。
堅田の人々は、琵琶湖の鮮魚を献上するかわりに雑役の賦課が免除されていたのだといいます。
葵祭の前日(5月14日)に行われる「堅田供御人鮒奉献奉告祭」は、琵琶湖の鮒を下鴨神社へ献上する祭事。
伊豆神社は、892年(寛平4年)、比叡山の尊意が伊豆の三嶋大明神を勧請して創建したと伝えられる社。
神田神社は、下鴨神社を勧請して創建されたという社。
「堅田供御人鮒奉献奉告祭」の行列は、神田神社と伊豆神社で祈祷を受けて堅田地域を巡行した後、京都の下鴨神社へ移動し鮒を献上します(午前10時頃のようです。)。
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堅田には・・・
浮御堂は、恵心僧都源信が衆生済度と琵琶湖の湖上安全を祈願して阿弥陀仏を安置した堂。
源信は、紫式部の『源氏物語』の最後の十帖「宇治十帖」に登場する横川の僧都のモデルともいわれています。
本福寺は鎌倉時代末期に創建された寺で、寛正の法難で堅田に逃れてきた蓮如が堅田衆からの支持を得て、「堅田門徒」と称せられるほどの勢力を得たのだといいます。
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