985年(寛和元年)、比叡山の横川にある恵心堂に隠遁していた源信が『往生要集』を著しています。
穢れた世界を厭い離れ、清浄な仏の国土に生まれることを願い求める思想「厭離穢土欣求浄土」を浄土信仰の基本とした源信。
穢土を地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道とし、浄土には10種の楽のあることして、浄土での十楽を願い、穢土を厭い離れることを勧めました。
恵心堂(恵心院)は、天元年間(978-983)、藤原兼家が慈恵大師良源(元三大師)の協力を得て建立した寺。
源信は、ここで修行して恵心僧都と呼ばれました。
琵琶湖に浮かぶ浮御堂は恵心僧都源信の創建。
宇治の恵心院は恵心僧都源信が再興した寺。
恵心僧都源信は、『源氏物語』の「宇治十帖」に登場する横川の僧都のモデルといわれています。
紫式部の父藤原為時は、比叡山の横川に住して念仏結社『二十五三昧会』の結成にも関わったとされる慶滋保胤と親しかったのだとか。
源信に帰依していた藤原道長は、出家後、法成寺を建立。
源信と同じように阿弥陀如来像の手に結びつけた糸を手にして最期を遂げたのだと伝えられています。
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