「光る君へ」第7話では、藤原道長が打毬(だきゅう)で活躍するようですが、
打毬は、平安時代に端午の節会の際に行われた馬術競技。
その起源はヨーロッパに伝えられた馬術競技の「ポロ」とを同じといわれています。
打毬は唐で盛んに行われていたもので、日本には弘仁年間に渤海国を通じて伝えられたとする説が有力となっています。
越前国には、渤海の使節団(渤海使)を迎えるため施設「松原客館」がありました。
松原客館は、敦賀の気比の松原付近にあったといわれています。
928年(延長6年)に渤海は滅亡しますが、松原客館は渤海滅亡後も、宋の商人や官人の迎賓・宿泊施設として使用されていたようです。
平安京の鴻臚館は、渤海使のために建てられた迎賓施設。
松原客館に滞在していた渤海使は、都からの使者に伴われ、深坂峠を越えて塩津浜から舟で琵琶湖を渡り、大津から鴻臚館に入りました。
822年(弘仁13年)に渤海国の国使が豊楽殿で打毬を行ったという記録が残されています。
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