984年(永観2年)、花山天皇が即位。
紫式部の父藤原為時は、東宮時代に近侍していた関係で「式部丞・六位蔵人」に任じられます。
式部丞(しきぶのじょう)は、大学寮を管掌していた式部省の官人。
古代日本の官庁では長官・次官・判官・主典の四等級があって、式部丞は3番目の判官。
六位の者が任命されました。
蔵人(くろうど)は、令外官の一つで天皇の秘書的役割を果たしました。
しかし・・・
花山天皇は、986年(寛和2年)、藤原兼家・道兼父子の謀により山科の元慶寺で出家してしまいます(寛和の変)。
為時は官職を失い、996年(長徳2年)に越前守となるまで官職のない状況(散位)が続くことになります。
986年(寛和2年)6月23日、花山天皇は藤原兼家・道兼父子の策謀により元慶寺で出家(寛和の変)。
前年に寵愛していた女御の藤原忯子を亡くし、一時的に出家を考えてしまったことに付け込まれたらしい。
長い間、官職のなかった為時は、996年(長徳2年)正月28日、越前守に叙任されます。
初めは播磨守だったようですが、一条天皇に漢詩を奏上して越前守にしてもらったのだとか。
この年の夏ごろ越前に下向。
紫式部も同行していました。
越前市武生の紫式部公園は、紫式部の越前下向を記念して整備された公園。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆