木曽義高は、木曽義仲の嫡男。
1183年(寿永2年)3月、源頼朝と木曽義仲の武力衝突の際、義仲が子義高を鎌倉に人質として差し出すことで和議が成立し、義高は、頼朝の娘大姫の許嫁という名目で鎌倉に送られてきた。
しかし・・・
翌年正月20日、義仲が粟津の戦いで討たれると、4月、頼朝は義高を誅殺するよう命を下します。
これを知った大姫は、義高を逃がすのですが・・・
大姫の願いは叶わず、4月26日、義高は武蔵国の入間川で討ち取られてしまいました(享年12)。
鎌倉の常楽寺にある義高の首塚(木曽塚)には、毎年、鯉のぼりが掲げられているようです。
義高の終焉の地・入間川の「義高の鯉のぼり」と同じような願いが込められているのかもしれません。
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