940年(天慶3年)2月14日、藤原秀郷と平貞盛に討たれた平将門の首級は、4月25日に京都へ送られて梟首。
その後、ゆかりの者たちが神田明神の傍に埋葬したのだといいます。
(京都)
京都の膏薬の辻子にある神田明神は、平将門の首級が晒されたという地に建てられたという社。
将門の首級は、ここから江戸へ運ばれたのだといいます。
(東京)
東京の神田明神は、730年(天平2年)の創建。
創建地は、武蔵国豊島郡芝崎村で、将門の首塚といわれる将門塚の辺りだったそうです。
1309年(延慶2年)、将門の霊は神田明神に奉祀されています。
参考までに・・・
源頼朝の挙兵に参じた千葉常胤や上総広常は、房総平氏・平忠常の子孫。
忠常の母は将門の娘。
北条時政の先祖といわれる平直方は、将門を討った平貞盛の子孫。
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