清少納言は『枕草子』に
「四月、祭のころ、いとをかし」
と記しています。
祭とは賀茂祭のこと。
さらに・・・
「見物は、臨時の祭 行幸 祭の還さ 御賀茂詣で」
と記し、
見物に値する行事として、石清水の臨時祭・賀茂の臨時祭・天皇の行幸・斎王の還御・摂政関白の賀茂詣を挙げています。
そして、
「祭のかへさ、いとをかし」
と記し、
賀茂祭の翌日に斎王が上賀茂神社から紫野の斎院に帰る行列は、本当に素晴らしいと伝えています。
「いとをかし」は『枕草子』の最高美的評価。
賀茂祭を主宰する斎王は、4月の酉の日、賀茂斎院(斎王の御所)を出御して一条大宮で勅使の行列と合流。
下鴨神社と上賀茂神社を参拝し、翌日に賀茂斎院に戻ったのだといいます。
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『枕草子』によると、雲林院や知足院などが見物の名所となっていたようです。
雲林院は大徳寺の塔頭となっていますが、かつては官寺として栄えた寺。
紫式部の『源氏物語』にも登場します。
常徳寺は知足院をはじまりとする寺。
源義経の母常盤御前が信仰した寺でもあります。
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鎌倉との繋がりを求めて。