夏目次郎左衛門吉信旌忠碑
夏目吉信(広次)は、松平氏・徳川氏譜代の家臣。
1563年(永禄6年)に起こった三河一向一揆では、松平家康(徳川家康)に反旗を翻したが、家康の寛大な措置により赦免されました。
このことを恩に感じていた広次は、1572年(元亀3年)の三方ヶ原の戦いで家康の身代わりとなって武田軍に突入して討死したのだと伝えられています。
合戦時、浜松城の留守を任されていた広次は、味方の敗戦が濃厚と知ると、家康のもとへ走り、退却を進言しますが・・・
家康が突撃しようとしたので、家康を逃がすため、武田軍の中に突入していったのだとか。
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