安達景盛は、源頼朝が流人だった頃から側近として仕えていた安達盛長の嫡男。
母は比企尼の長女丹後内侍。
頼朝の亡き後の1199年(正治元年)、頼朝の跡を継いだ頼家に妾を奪われ、命も狙われたが北条政子に助けられた。
以後、北条氏と親密な関係を保ち、1203年(建仁3年)の比企能員の変では、比企氏と縁戚であったにもかかわらず連座を免れている。
比企滅亡後、修禅寺に幽閉された頼家は、母の政子と三代将軍となった弟の実朝に景盛の身柄を引き渡し処罰させてほしいと訴えたようだが、許されることはなかった。
1218年(建保6年)、秋田城介に任官。
以後、安達氏が秋田城介を世襲する。
1219年(建保7年)、実朝が暗殺された後に出家して高野山に入るが、その後も幕政に加わり、1221年(承久3年)の承久の乱では政子の言葉を代読した。
承久の乱後、北条泰時とともに栂尾高山寺の明恵に帰依している。
北条氏と姻戚関係を結ぶなど安達氏の繁栄に努め、五代執権北条時頼の時代には、子の義景らとともに三浦氏を滅ぼす宝治合戦のきっかけを作った。
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