『吾妻鏡』によると・・・
1187年(文治3年)正月18日、仁田忠常は瀕死の重病に陥ります。
源頼朝も見舞いに訪れました。
このとき、忠常の妻は、
「妻の命を縮め、忠常を救い給え・・・」
と三嶋大社に祈願したのだといいます。
それから半年後の7月18日、
忠常の妻は、三嶋大社を参詣します。
しかし、洪水となり、江尻の渡しの船に乗りますが、その船が転覆してしまいました。
乗船客は皆水中に放り出されますが、奇跡的に助かります。
ただ、忠常の妻だけが水底に沈んだままとなってしまいました。
正月に忠常が重病に陥ったときの願いが神に受け入れられたのだとか・・・
三嶋大社は、流人だった源頼朝が源氏再興を祈願した社。
忠常の妻も幼い頃から信仰し、毎月必ず参拝していたのだと言います。
仁田忠常は伊豆国仁田郷の武将。
1180年(治承4年)の源頼朝の挙兵に参陣。
頼朝の信任は厚く、側近として従い、源平合戦や奥州征伐で武功をあげています。
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