1689年(元禄2年)秋、「おくのほそ道」の旅の終盤、
越前で木曽義仲が築城させたという燧が城を見た芭蕉は、かつて義仲が破竹の勢いで京都へ進撃していった事を回想したのだといいます。
この時、
「義仲の寝覚めの山か月悲し」
と詠んだのだとか。
「おくのほそ道」の旅を終えた年末、芭蕉は義仲が葬られている義仲寺の無名庵で過ごします。
その後も度々義仲寺を訪れていたといいます。
1694年(元禄7年)10月12日、大坂御堂筋の旅宿「花屋仁左衛門」で没。
遺言により義仲寺に葬られました。
芭蕉が滞在した庵。
1691年(元禄4年)、無名庵の芭蕉を訪ねた伊勢の俳人・島崎又玄は「木曽殿と背中合わせの寒さかな」と詠みました。
正面祭壇に芭蕉翁座像、左右に丈艸居士、去来先生の木造、側面に蝶夢法師胸像が置かれ、左右壁上には三十六俳人の画像が掲げられています。
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鎌倉との繋がりを求めて。
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