巴御前は、『平家物語』や『源平盛衰記』に登場するのみで、鎌倉幕府の記録『吾妻鏡』には一切登場しません。
したがって、実在した人物かどうかは不明です。
しかし、信濃国木曽谷で木曽義仲とともに育ち、ともに戦った女武者として語り継がれてきました。
(木曽町:義仲館)
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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第16話では・・・
源範頼と源義経に攻められて都を落ちた木曽義仲は、巴御前に落ち延びて鎌倉の義高に手紙を渡すよう諭します。
そして、巴御前は義仲の言うとおり、和田義盛の軍に捕らえられたようです。
気になるのは、巴御前と義高との関係。
今日では義高の母は中原兼遠の娘とする説が有力のようです。
兼遠は義仲の乳母父。
義仲は父の義賢が討死した後、兼遠に預けられて育ったのだといいます。
そして、巴御前も兼遠の娘という説があります。
徳川光圀が編纂させた『参考源平盛衰記』によると・・・
義高は巴御前が産んだ子。
義仲に戦場を去るよう言われた巴御前は、信濃に帰っていましたが、鎌倉の頼朝に召喚され、義高と対面しているようです。
その後、処罰されるはずでしたが・・・
和田義盛の請いにより後妻になることが許されたのだといいます。
そして、生れたのが大力武勇の猛者として知られ、のちの和田合戦で奮戦した朝比奈義秀なのだとか・・・
(小田原市:善栄寺)
善栄寺は、巴御前が木曽義仲と和田義盛の菩提を弔うために建てた寺と伝えられています。
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2022年の大河ドラマ