(富士市)
『吾妻鏡』によると、
1180年(治承4年)10月16日、源頼朝は平家の追討軍と戦うため出陣。
10月19日、伊東祐親は伊豆の鯉名で天野遠景に捕まり、三浦義澄に預けられました。
10月20日、富士川の戦いで平家軍が敗走すると、
10月23日、大庭景親・長尾為宗・長尾定景が投降。
大庭景親は上総広常に、
長尾為宗は岡崎義実に、
長尾定景は三浦義澄に預けられています。
また、
河村義秀は河村郷を取り上げられ、身柄は大庭景義に、
山内経俊は山内荘を取り上げられ、身柄は土肥実平に預けられました。
その後・・・
伊東祐親は、北条政子の懐妊で許されますが自害。
(参考:伊東祐親の墓)
大庭景親は片瀬で斬首。
(参考:明暗が分かれた大庭兄弟(景義と景親))
岡崎義実に処分を任されていた長尾定景は、義実の申し出により許されています。
(参考:法華経を読み続けた長尾定景)
河村義秀は、斬首を命じられますが、のちに流鏑馬で妙技を披露して許されています。
(参考:流鏑馬と河村秀義の逸話)
山内経俊は、母の哀訴によって助けられました。
(参考:母の哀訴に命を救われた山内首藤経俊)
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2022年の大河ドラマ