1180年(治承4年)10月20日、富士川の戦いで平維盛率いる追討軍を敗走させた源頼朝。
『吾妻鏡』によると、追撃して一気に上洛をと考える頼朝に対し、千葉常胤・三浦義澄・上総広常らの有力な坂東武者が反対します。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第九話では、それでも平清盛の首を取りたい頼朝は、北条時政や北条義時に追撃を命じます。
しかし、時政が頼朝にこう言います。
「佐殿(すけどの・頼朝)は所領をお持ちでないのでわからねぇんだ。
坂東武者にとって一番大事なのは所領と一族。
それを守るためなら死に物狂いで戦う。
清盛が憎いからじゃねぇ~
おのが所領がかかっているから戦うまで。
その辺のところをどうか考えてやってくだせぇ~
戦で命を張るのはわしらなんだ!」
源頼朝の挙兵を援けたのは、自分の領地(農地)を守るために一所懸命だった武士団。
頼朝の時代の武士は大農場主。
一所懸命という言葉は、「農地を命懸けて守る」というところに由来しています。
「武家の世」=「所領安堵」=「農場主としての経営の安定」。
「鎌倉に集まった武士」=「頼朝に従った武士」は、頼朝に奉仕する代わりに恩賞をもらい所領を安堵してもらうことを望んでいたのです。
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2022年の大河ドラマ