武田信義は、甲斐源氏の四代当主・甲斐武田氏の初代当主。
甲斐国の巨摩郡武田郷(現在の山梨県韮崎市)に館を構えて武田を名乗ったのだという。
武田八幡宮は、甲斐武田氏の氏神。
信義はここで元服したのだと伝えられている。
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1180年(治承4年)、以仁王が平家打倒の令旨を発すると挙兵。
富士川の戦いでは平家軍を敗走させている。
当初は源頼朝の傘下には入らず活動していたが、のちに武田軍は一ノ谷の戦いや壇ノ浦の戦いに従軍して活躍した。
しかし、頼朝から謀反の疑いをかけられて転落。
1186年(文治2年)3月9日、信義は謀反の疑いが晴れないまま亡くなったのだという。
(願成寺)
願成寺は信義の菩提寺。
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