『真名本 曽我物語』には、「北条時政の先妻は、鎌倉殿の御台盤所の母」という記述があります。
鎌倉殿は源頼朝。
御台盤所は北条政子。
「曽我兄弟の父方の伯母」という記述もあります。
曽我兄弟の父は河津佑泰。
河津佑泰は伊東祐親の嫡男。
とすると、北条時政の先妻は伊東祐親の娘で、北条政子や北条義時の母ということになります。
では、政子と義時の母は祐親の何女なのか?
『真名本 曽我物語』には、こんな記述も・・・
「伊東祐親には四人の娘がいて、第一は三浦義澄に、第二は土肥遠平に嫁ぎ、第三と第四の娘は親の許にある」
三の妃は美女で源頼朝と結ばれた・・・」
とすると・・・
第四の娘ということになりますが・・・
政子や義時の誕生年からすると、そんなはずがありません。
「鎌倉殿の13人」の時代考証を担当する坂井孝一先生は、この記述は後妻が産んだ娘の事であって、政子と義時の母は先妻が産んだ娘だと推定しています。
政子と義時は、この場所で生まれました。
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