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2021年10月14日木曜日

昭和の時代の源頼朝墓


源頼朝墓
沢寿郎著『鎌倉史跡見学』より


写真が古いのですが、この源頼朝の墓は、1779年(安永8年)に薩摩藩の島津重豪が建てたものです。



現在の墓塔と少し雰囲気が違いますが、頼朝墓は1989年(平成元年)に何者かによって破壊されたことから修繕が加えられています。



2012年(平成24年)2月11日にも一番上の相輪部分が破壊されました。


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『吾妻鏡』によると、源頼朝は、1189年(文治5年)7月18日、走湯山(伊豆山権現)の專光坊良暹を呼び出して、奥州征伐のための祈願所を設けることを命じています。

その祈願所が頼朝の「持仏堂」です。

本尊は、頼朝が三歳の時に京都の清水寺から下された聖観音像でした。

頼朝は、その死後、「持仏堂」に葬られたと伝えられ、以後、「持仏堂」は「法華堂」と呼ばれるようになったといいます。

「源頼朝墓」は、その後廃された法華堂の跡地に建てられました。

📎源頼朝の守り本尊










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