まだ、円覚寺開山の無学祖元が南宋にいた頃の事。
元の侵攻による難を避けて能仁寺にいた無学祖元。
やがてそこにも元の兵がやってきます。
寺僧はみな逃げ出しますが、無学祖元はひとり僧堂に残っていました。
元兵は刀をかざして無学祖元を脅しますが、それに対して・・・
「振りかざされた剣も、生死を超えた身には稲光のあいまに春風を斬るようなものだ」
と語ったのだといいます。
元兵は、「死をおそれぬ無学祖元の気迫におされ退散していった」という逸話が残されています。
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無学祖元は、中国・宋の禅僧。
1279年(弘安2年)8月20日、八代執権・北条時宗の招きによって来日し、建長寺の第五世住持となります。
時宗の師として鎌倉幕府御家人からも信仰を受け、特に蒙古襲来(元寇)に際しては、時宗の政策に大きな影響を与えました。
(常立寺)
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