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2021年8月5日木曜日

源頼朝は成朝/北条時政・和田義盛は運慶


運慶
(六波羅蜜寺)


運慶は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて活躍した奈良仏師。

奈良仏師は興福寺を拠点に活動していました。

平等院の阿弥陀如来坐像(国宝)を造立した定朝の流れをくむ仏師集団です。


興福寺五重塔



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~成朝に造仏を依頼した源頼朝~

1185年(文治元年)、源頼朝は奈良仏師成朝を招いて、勝長寿院の阿弥陀如来像を造立させてまいす。

『吾妻鏡』によると丈六の皆金色の阿弥陀仏だったのだといいます。

成朝は、奈良仏師の本家慶朝の子。

頼朝は何故、奈良仏師の中から成朝を選んだのか・・・

これには諸説あるようですが、

頼朝の場合、範頼義経といった兄弟の関係からもわかるとおり、系統や血筋を重視するタイプ。

したがって「定朝の嫡流」である成朝を選んだのではないかという考えが有力のようです。

当時、奈良仏師の中で僧綱位にあったのは運慶の父康慶のみだったそうです。

それでも頼朝は無位の成朝を選んでいます。

※僧綱位とは、法橋・法眼・法印といった僧位。


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~北条時政と和田義盛は運慶に造仏依頼~

1186年(文治2年)、北条時政願成就院の諸仏制作を運慶に依頼。

阿弥陀如来像・不動三尊像・毘沙門天像・こんがら童子像・せいたか童子像は、運慶の真作で、2013年(平成25年)、国宝に指定されています。


願成就院



1189年(文治5年)、和田義盛浄楽寺の諸仏制作を運慶に依頼。

阿弥陀如来及両脇侍像・不動明王像・毘沙門天像は運慶の真作で国の重要文化財に指定されています。


浄楽寺


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~何故、運慶だったのか?~

北条時政和田義盛は、何故、成朝ではなく運慶を選んだのか・・・

頼朝と同じ成朝にするわけにもいかず、さらに、傍系であっても僧綱位にあった康慶を選ぶわけにもいかないため、運慶を選んだのだという考えが有力のようです。

頼朝に配慮してということだったようです。


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東大寺の金剛力士像
(東大寺)

運慶は、平重衡によって焼かれた興福寺東大寺の復興に貢献しました。

東大寺南大門の金剛力士像は、その代表作として知られています。


晩年には鎌倉幕府関係の造仏に多く携わっています。

称名寺(横浜市金沢区)の塔頭光明院の大威徳明王は、1216年(建保4年)、最晩年の運慶によって造立された貴重な仏像です。

『吾妻鏡』によると、源実朝の持仏堂「釈迦如来像」、北条義時の大倉薬師堂「薬師如来像」、勝長寿院「五大尊像」が運慶作だったのだといいます。




興福寺

東大寺







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