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鶴岡八幡宮は、源頼朝が武家の都市づくりの中心に据えた社。
📎鶴岡八幡宮の遷宮
📎鶴岡八幡宮の造営
📎鶴岡八幡宮焼失
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1219年(建保7年)1月27日、源実朝の右大臣拝賀式に従っていた北条義時は、白い犬が楼門の傍らに見えたことで気分が悪くなり、剣持ち役を源仲章に譲って小町の屋敷に帰ったのだといいます。
その後、実朝と仲章は公暁に殺害されました。
📎源実朝の暗殺
📎源実朝が暗殺された日
📎北条義時と戌神将の伝説
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源実朝を暗殺した公暁が隠れていたという伝説の御神木。
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舞殿のある場所は、頼朝の命で、源義経が馬を引き、静御前が舞った場所。
📎源義経と大工の馬事件
📎静の舞
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若宮社殿横に聳えるビャクシンは、源実朝が宋から苗を取り寄せて植えたものと伝えられています。
📎宋に憧れた将軍~源実朝の渡宋計画~
📎源実朝が請来した仏舎利の伝説
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源氏池の島にある旗上弁財天社は、北条政子の建立とも伝えられ、社殿の背後には政子石が置かれています。
政子石は、夫婦円満と子宝の祈願石として信仰されてきました。
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1187年(文治3年)、源頼朝は鶴岡八幡宮で放生会を催します。
これが、現在の例大祭の起源といわれ、放生会では流鏑馬が奉納されました。
📎武田流流鏑馬
📎小笠原流流鏑馬
📎鶴岡八幡宮例大祭
流鏑馬馬場には、静御前の聖地の一つとされる福島県郡山市から静桜が植樹されています。
静桜の隣には、源実朝の首が葬られたという秦野市から実朝桜が移植されています。
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白旗神社は、源頼朝と源実朝を祀る社。
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「山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」
山が裂けて海が干上がってしまうような世になってしまっても、上皇様(後鳥羽上皇)を裏切るような心は私にはありません。
後鳥羽上皇と源実朝は良好な関係を築いていたようですが、実朝が暗殺されると朝廷と幕府の関係は悪化し、1221年(承久3年)には、承久の乱が起こってしまいます。
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今宮は、承久の乱で配流となった後鳥羽上皇・順徳上皇・土御門上皇を祀ります。
📎承久の乱
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かつて、鶴岡八幡宮の裏山には供僧の住坊「二十五坊」がありました。
和田合戦時には、北条政子と源実朝の妻坊門姫がここに逃れました。
源実朝を暗殺した公暁は、ここで食事をとった後、三浦義村邸に向かったのだといいます。
📎和田合戦
📎源実朝の暗殺
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鶴岡八幡宮の参道「若宮大路」は、1182年(寿永元年)に北条政子が懐妊したのを機に整備が始まりました。
この時生まれたのが源頼家。
中央の段葛は、全国で唯一残っている遺構。
現在の段葛は、二の鳥居からの500mほどの長さですが、造営当時は海岸まで通じていたそうです。
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源平池は、若宮大路と一緒に造営されたものと考えられています。
伊豆山権現の専光坊良暹(りょうせん)や大庭景義が造営の奉行を務めました。
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正式発表はまだですが、「大河ドラマ館」は鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムに設置される予定。