1189年(文治5年)7月、藤原泰衡を討つため出陣した源頼朝は、8月22日、平泉館に到着します。
8月11日に主の藤原泰衡が火をかけて逃亡したため、跡形もない状況でしたが、東南の角に蔵が焼け残っていました。
葛西清重と小栗重成に調べさせると・・・
中には多くの財宝があったそうです。
銀造の猫も。
「銀の猫」と言えば・・・
1186年(文治2年)8月15日、東大寺復興費用の勧進のため奥州平泉へ向かう途中で鶴岡八幡宮に立ち寄った西行は、源頼朝の御所に招かれて弓馬について語ります。
その翌日、西行は御所を辞しますが、その時、「銀の猫」を贈られています。
西行は、それを門の外で遊んでいた子どもたちに与えてしまったそうですが、
もしかすると、頼朝の時代にも「猫ブーム」が起こっていたのかも・・・
「西行法師子供に銀猫を与ふるの図」
さらに、もしかすると、西行は「銀の猫」を子どもには与えず藤原秀衡への土産にしたのかも・・・
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