虎御前は、大磯の遊女。
曽我兄弟の兄祐成の愛人でした。
(大磯町:鴫立庵)
1193年(建久4年)5月28日夜半、雷雨の中、曽我十郎祐成と曽我五郎時致の兄弟は、富士裾野で工藤祐経を殺害。
父河津祐泰の仇を討ちます。
その後、祐成は仁田忠常に討たれ、時致は捕らえられて梟首されました。
この事件で、虎御前も呼び出されて尋問されますが、無罪放免されています。
(富士宮市)
曽我兄弟の終焉の地を訪れた虎御前は、
「露とのみ消えにしあとを来てみれば尾花が末に秋風ぞ吹く」
と詠んだのだといいます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
6月18日、虎御前は、祐成の三七日の忌日に箱根権現の別当行実の坊で法事を行います。
そして、箱根権現で出家
信濃の善光寺へ向かったのだそうです。
(箱根町)
曽我兄弟と虎の墓
(箱根町)
(箱根町)
(長野市)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その後、大磯に戻った虎御前は、曽我兄弟の供養をしながら余生を送ったのだといいます。
(大磯町)
延台寺は、曽我兄弟を追善するために、虎御前が建てた法虎庵曽我堂をを始まりとする寺。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2022年の大河ドラマ