『吾妻鏡』によると・・・
1193年(建久4年)5月16日、富士裾野の巻狩りで、源頼朝の嫡男頼家が初めて鹿を射止めました。
騎射の故実に通じていた愛甲季隆の助言があって、矢の羽までも深く突き刺すことができたのだとか。
喜んだ頼朝は狩りを打ち上げにして、晩になって「矢口祭」(やぐちのまつり)を行います。
「矢口祭」は、狩りのはじめのときなどに三色の餅を供えて山の神を祭り射手を饗応することで、北条義時が黒・赤・白の三色の餅を献上しました。
頼家の手柄については、梶原景高が使者となって鎌倉の北条政子に知らされますが・・・
政子は「武将の嫡子が原野の鹿や鳥を獲るのは珍しいことではない。安易に使いをよこすのは、かえって煩わしいだけだ」
と冷たい態度だったのだとか・・・
(草鹿神事)
鎌倉宮で行われる草鹿神事は、源頼朝が巻狩りの際に、草を束ねて作った鹿を使って稽古させたのが始まりといわれています。
富士山本宮浅間大社の流鏑馬は、1193年(建久4年)に源頼朝が富士裾野の巻狩りを催した際に奉納したのを始まりとしているのだといいます。
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