『吾妻鏡』によると・・・
1243年(寛元元年)6月16日、深沢村に建立された寺に八丈(約24メートル)の阿弥陀像(大仏)が安置され、開眼供養が行われました。
導師を勤めたのは勝長寿院の別当良信。
大仏の建立は、1238年(嘉禎4年)3月23日から始まりました。
勧進僧の浄光は都や地方を勧進してまわり、身分の高い者も低い者もみな寄付をしたのだとか。
1242年(仁治3年)の成立と考えられている『東関紀行』によると、造られていた大仏は木製だったのだといいます。
しかし、その大仏は、1247年(宝治元年)の台風で崩壊してしまいます。
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その大仏は金銅製。
完成したのが現在の大仏と考えられていますが、鋳造開始後の記録がないので、いつ完成したのかは判っていません。
ただ、日蓮が1268年(文永5年)10月11日付けで「大仏殿別当あての書状」を書いていることから、それ以前には大仏の鋳造が終了し、大仏殿も完成していたものと考えられています。
(『図説鎌倉年表』より)
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大仏の鋳造が開始された時の執権は北条時頼。
ただ、時頼は大仏建立にどう関わっていたのかは不明です。
建長寺もこの時期に創建されています・・・。
建長寺の国宝梵鐘を鋳造した物部重光は、大仏の鋳造も手掛けたものと考えられています。