『吾妻鏡』によると・・・
1212年(建暦2年)10月11日、源実朝は4月18日から建て始めた堂を見るために大倉郷へと出かけました。
その時、供をしていた三善康信が実朝に霊夢の話をします。
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1198年(建久9年)の12月頃に見た夢のことです。
頼朝様の供をして大倉山あたりに行きました。
そこに一人の老人がおりました。
その老人が言うには、
「この地は、清和天皇の時代に相摸丞となった文屋康秀(ふんや の やすひで)が住んでいた所。
ここに寺を建てなさい。
私が鎮守となりましょう」
夢から覚めた私は、すぐに頼朝様に報告しました。
その時、頼朝様は病気療養中でしたが、
「もし治ったら寺を建てる」とおっしゃられました。
しかし、その希望は叶うことなく翌年正月に亡くなられてしまい、残念に思っておりましたが、実朝さまが自ら願われて建立されますことは、やはり霊感なのでしょうか。
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『吾妻鏡』によると・・・
「源頼朝は、1198年(建久9年)12月に稲毛重成が架けた相模川の橋の落成供養に出席し、その帰路に落馬。
それからどれほどの時を経ずして亡くなった(1212年(建暦2年)2月28日条)」
とされています。
頼朝の死因については諸説あるようですが、
三善康信が源実朝に語った内容からすると、「病気が原因で落馬して死に至った」と推測できそうです。
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