建長寺を開いた蘭渓道隆は、中国宋の禅僧。
宋で修行していた泉涌寺の月翁智鏡との縁から、1246年(寛元4年)に宋から商船に乗って日本(筑前博多)に渡ってきました。
博多の円覚寺は道隆が開いたのだと伝わります(現在は聖福寺塔頭)。
来日後、円覚寺に留まって布教活動をしていました。
翌年、月翁智鏡に招かれて上洛。
泉涌寺の来迎院に滞在しますが、旧仏教で固められた京都には活躍の場はなく、智鏡の勧めで鎌倉へ下ります。
鎌倉の地を踏んだのは、1248年(宝治2年)頃のことといわれています。
仮の住まいにしたのが、我が国臨済宗の開祖栄西が開いた壽福寺でした。
やがて、壽福寺の道隆のことを知った五代執権北条時頼は、道隆を常楽寺に移して禅の道場を開きます。
そのため、常楽寺は「建長寺の根本」といわれています。
1253年(建長5年)、時頼は建長寺を創建。
道隆は開山に迎えられました。
道隆は、元(中国)の密偵との疑いをかけられ伊豆に逃れた時期もあります。
そのときに住したのが修禅寺でした。
修禅寺は真言宗の寺でしたが道隆が住したことで臨済宗に改宗されました。
(※のちに韮山城主の北条早雲が曹洞宗の寺として再興。)
その後、壽福寺、禅興寺(現在は支院の明月院のみ。)などに住し、京都建仁寺にも住しました。
アジサイで知られる明月院は、道隆が開いた禅興寺の支院。
禅興寺は、八代執権北条時宗が父時頼の最明寺を再興して創建しました。
建仁寺は、源頼家の援助によって創建された京都最古の禅寺。
開山は栄西。
建仁寺の塔頭西来院は、建仁寺十一世となった道隆が開いた寺。
叡山僧徒の反抗にあって甲斐に流されたこともありました。
東光寺の庭園は道隆の作庭と伝えられています。
1278年(弘安元年)4月、建長寺に戻った道隆は、その年の7月24日に没しています。
建長寺の塔頭西来庵は道隆の塔所。
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