源頼朝がまだ伊豆国の蛭ヶ小島に配流の身であったころのこと。
「かくれ里の稲荷」と名乗る神霊が夢に現れ、頼朝に挙兵を勧めました。
その後、源氏再興の挙兵をして鎌倉を本拠と定めた頼朝は、かくれ里と呼ばれる地に祠を発見。
畠山重忠に命じて社殿を建立させました。
それが佐助稲荷神社の始まりなのだと伝えられています。
頼朝は、初陣を果たした1159年(平治元年)の平治の乱で、一時、右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)に任ぜられました。
すぐに平清盛に敗れて解官され、伊豆国の蛭ヶ小島に流されますが、前右兵衛権佐であることから「佐殿」(すけどの)と呼ばれていたようです。
佐助稲荷神社の「佐助」という名には、「佐殿を助けた」という意味があるのだとか・・・
稲荷神は、その字で明らかのように「稲の神、食物の神」として、広く農民に信仰されてきました。
今日では、商運祈願の参詣者も多くみられます。
2018年の初午祭は2月7日。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
源平の戦いが終わり、民の加護を祈っていた源頼朝の夢に宇賀福神が現れます。
宇賀福神は頼朝にこう告げます。
「西北の仙境に湧きだしている霊水で神仏を祀れば、平穏に治まる」と。
それが、巳の年の巳の月の巳の日だったのだそうです。
夢のお告げのとおり西北の地に泉を見つけた頼朝は、そこに岩窟を掘らせ宇賀福神を祀っりました。
それが銭洗弁財天宇賀福神社の始まりなのだと伝えられています。
そして、いつのころからか、霊水で銭を洗うと数倍になるという信仰が生まれます。
特に己巳日(つちのとみのひ)は多くの参詣者で賑わいます。
(※己巳日=弁財天の縁日)。
参考までに、洗った銭は持っているのではなく、使う事によってご利益があるようです。
2018新年の最初の巳の日は1月1日。
巳の刻(10:00)から初巳祭が執り行われます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
京都は七福神発祥の地