元弘三年銘の五輪塔地輪
(釈迦堂ヶ谷奥やぐら群出土)
1333年(元弘3年)5月22日、新田義貞が鎌倉攻めに入ったことで、北条高時以下の一族は、東勝寺に籠もって自刃しました。
これによって鎌倉幕府が滅亡します。
釈迦堂ヶ谷奥やぐら群からは、5月28日の日付が刻まれた五輪塔の地輪が発見されていますが、その日付が北条一族自刃の日から数えて初七日にあたることから、北条一族追善のための五輪塔であったと考えられているようです。
小町大路を歩いているとこんな標識があります。
北条高時腹切やぐら、東勝寺跡。
北条一族870余名が自刃したと伝えられている所です。
北条高時が葬られたとも伝えられているやぐらです。
ただ、出土した地輪から考えれば、高時をはじめとする北条一族は釈迦堂ヶ谷の奥に葬られたのでしょう。
残念ながら、昭和40年の宅地造成によって、やぐら群のほとんどが破壊されてしまったようですが・・・
元弘三年銘の五輪塔地輪は、鎌倉歴史文化交流館で見ることができます。
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