光明寺の弁財天は、江の島の奥の院に祀ってあったという八臂弁財天像。
天文年間(1532~1555年)の大嵐によって流され、光明寺の浜辺に打ち上げられたと伝えられています。
弁財天像は、いったん江の島に戻されますが、善導大師より直接念仏のことを聞きたいというお告げが度々ありました。
そのため、光明寺に善導大師像と弁財天像を祀るための二尊堂を建てて再びお迎えしたのだということです。
善導大師像と弁財天像
現在は、大殿に善導大師像とともに安置されています。
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